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神霊廟ラスボスのゆかりの場所へ(神霊廟ネタバレ)

公開日:2011年09月19日 カテゴリー:, 東方の話題, 聖地巡礼/舞台探訪 タグ:

東方神霊廟も委託から1週間たちまして、そろそろネタを解禁したいと思います。
というわけで、先日の例大祭SP2の帰りについでに(6面)ラスボスのゆかりの地の一つを訪問してきました。

(当たり前ですがこの先神霊廟ネタバレ注意)

例大祭SP2(9/11)の後、アキバ近くの風呂に行って名古屋行きの高速バスに乗車。
名駅前のネットカフェで時間調整と仕事をして、付近の金券ショップで近鉄優待券をゲット。これは大体¥1500で売られており、近鉄全線を一回限り乗ることができる。

この切符で近鉄名古屋10:01発の宇治山田行きに乗車。終点宇治山田で大阪上本町行きに乗り換えて、そのまま乗ってれば自動的に大阪に着くが、途中の大和八木で乗り換え、南下して橿原神宮前でさらに乗り換えて13:25に「上ノ太子駅」へとたどり着いた。

普通に乗ると¥2190なので¥600ほど安くなった。移動地図は以下の通り。


大きな地図で見る

というわけで、Twitterで場所のツイートを一切しなかったのは最寄駅の名前で誰だかわかってしまうためでした。
上ノ太子から3分接続で貴志駅行きのバスに乗り、「太子前」で下車。 たしか¥170。
ちなみに駅前でKRTFのおみさんと合流している。 すみませんいつもつき会わせまして・・・

バスを降りるといきなり小学生な太子がお出迎えしております。
こっち側は綺麗なんだけど反対側の太子は妙にボロボロだった。

太子前で降りるとそこにあるのは「磯長山叡福寺」
別名が「上之太子」であり、そのため太子前という名前になっているようだ。わかりやすい。

境内はめっちゃ広いというわけではないがいろいろな建物がある。聖徳太子にゆかりがあるということで結構な信仰があるようだ。

南大門の額には「聖徳廟」と書かれている。 ちなみに書いたのは「内閣総理大臣 岸信介」となっている。第56・57代総理大臣とのことで、1957~60年頃に総理大臣に就いているのでその頃に書かれたのだろう。

さて、東方的に重要なものは寺の一番奥にある。

磯長墓。聖徳太子御廟である。ちなみに磯長は「しなが」と読む。
墓というかいわゆる古墳であり。直径55mほどの円墳となっている。

円墳の周りには梵字が書かれた結界石によって二重に囲まれている。なかなか圧巻。

左側の墓の脇から道があり、なにやら上がっていけるようだ。
消えかけているが飲食一切禁止と看板があり、なにか重要な場所なのか。

立ち入り禁止ではないので上ってみる・・・が、
ちょうど時期柄虫がやばい。蚊くらいならまだ良いが蜂もブンブン飛んでおり気を遣いながら進む。 というかおみさんは蚊に刺されまくっていた。一方こっちはなんともない、体質なの・・・か?

謎の道を上りきると謎の塔が。なんぞこれ。
周りは結界石に囲まれており何か重要なもののようではある。
というかこれだけ見るとなんかRPGで出てくる謎の塔みたいだ。結界石の一つが動かせてなんか謎の入口とか出てくるんじゃとか思わないでもないが、まぁそんなからくりは多分ない。
今回はあまり調べずに来たので今後調査で明らかにしていきたい(その前にコメントが来そうな気がしないでもないが・・・)

 

バスの時間の調整に、寺の西隣にあった「太子・和みの広場」という場所に行ってみた。案の定なんとも言えない雰囲気が出ている。
円形に17個の石が配置されており、それぞれにプレートがはめられている。17個・・・

 なるほど。

 

よくわからんモニュメントは置いといて、公園の北側に怪しいものがあったので近づいて見ると。

おおう、聖徳太子墓の石室模型。小さいなと思ったら1/6らしい。
豊聡耳神子がここでずっと復活の機会をうかがっていたのかと思うと感慨深くもあり。

 

帰りは同じルートも面白くないので、太子前から近鉄長野線の喜志駅へと抜けた。¥200と上ノ太子駅からより若干高いが、太子前へはこちらの喜志駅からのほうがメインルートであり、こっちからだとバスは30分に1本程度確保されている。(上ノ太子からは1時間半に1本)

また、喜志駅(近鉄長野線)は近鉄大阪線ではなく近鉄南大阪線系統となるので、乗車は近鉄大阪線の大阪難波駅や鶴橋駅からではなく、JR天王寺駅南にある近鉄大阪阿部野橋駅となるので注意。大阪線沿線からも喜志駅への切符は買えるが、大和八木~橿原神宮前~古市経由となり、時間がかかる上に値段も高くなる。(鶴橋→JR天王寺→喜志:45分¥520、鶴橋→大和八木→橿原神宮前→古市→喜志:1時間20分¥920)

また、駅前にこんなものもあった。横の碑のとおり、小野妹子の墓も割と近くにある。それでも叡福寺から2.5kmほどあるが・・・

ちなみに叡福寺へのアクセス、金剛バス太子線の時刻表はこちら。上ノ太子駅から団地を突っ切って南に2km弱ほどなので、歩けないこともない距離である。


より大きな地図で 叡福寺アクセス地図 を表示

さて、まだ調べものについてはほとんど行っていないのでとりあえず感が強いですが、神霊廟ゆかりの地一か所を訪問してみました。他にもいろんな場所がありますがまた日を改めて訪問したいと思います。

聖徳太子(のモチーフ)がラスボスと初めて聞いたときはさすがになんじゃそりゃー!と盛大に突っ込ませていただきましたが、実はそんなに浮いてるわけでもないということに気付きました。
過去に京都や諏訪、その他の地でも東方に出てきたいろいろな伝説を追ってきましたが、確かにそれっぽいものもあるが・・・という場所も多くありました。特に浦島伝説
聖徳太子は誰もが知っているどころか、大抵の人は小学校の頃にこんな人がいたのだと授業で習っています。「おおそんな人がいたのか! 10人の声を聞き分けるとかすげえ!」と、ひねくれてなければ疑問も持たずに信じ込んでいることでしょう。私もそうでした。

しかし、これも浦島伝説や諏訪の伝説と同じような、真偽の定かではない「伝説」だったとしたら・・・
実際最近では聖徳太子はいなかったのではという説も挙げられるようになり、その根拠も納得のいくものが多くあります。(例えば叡福寺は724年に開かれたとされるが、実際は12世紀ごろに開かれた可能性があるとか)
長らく閉ざされていた磯長墓も近年調査が行われるようになりました。これにより近いうちに中の人の本当の埋葬年がわかるかもしれません。もしそうなれば、聖徳太子の墓と呼ばれていたものはなんだったのかということになり、それなりの騒動になるかもしれません。

いやはや、「聖徳伝説」は大変調査し甲斐がありそうな対象だなと、うれし苦しな状況です。

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