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(!この記事は古い記事です!)艦内神社の基礎知識 with 艦内神社リスト

公開日:2014年06月03日 カテゴリー:UPFG艦艇史料研究会, 聖地巡礼/舞台探訪, 艦これの話題 タグ:,

2015/6/20お知らせ:

kannaizinnzyanosekai

艦内神社専門サイトとして「艦内神社ノ世界」を開設しました

※この記事の内容は古いものとなりますのでご注意ください。

 
 
 
 
 

久野潤氏の帝国海軍と艦内神社がいよいよ発売されると言うことで、大体かぶってるであろうこちらの調査結果を発売前にまとめてみました。
本当は本の形にしたかったのですが・・・まだまだ調査不足のところも有り時期尚早とあきらめました。調査する度に変な物掘り出して頭を抱えるので・・・
また、この調査については自分だけではなく、KRTFのomi氏鯉素庵の青山正仁氏と相互協力の上で完成させた物となります。今後ともがんばりましょう(白目)

追記:ポータルとして「UPFG艦艇史料研究会Tumblr」を立ち上げました。こちらもよろしくお願いいたします。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015/8/30追記:
以下は古い記事となります、最新版の研究は新設サイト「艦内神社ノ世界」で行っていますのでそちらをご覧ください。
この記事はあくまでも参考のために残しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

■艦内神社とは
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艦の武運長久や安全を祈願して艦艇の艦内に設置される神社。基本的には神札をお備えしただけではなくきちんと分霊式を行ったものを言い、定期的に艦内神社の例祭も行われていた。軍施設の境内に設けられた営内神社というものもありその一種ともされる。
実際に海軍の規則として決まったのは昭和15年11月の海軍諸令則「艦船部隊官衙學校等に於ける祭神奉斎に関する件」が初めてで、それまではあくまでも慣例で行われており、特に決まり事は無かった。
艦内神社は日清戦争の頃はまだ無く、それから日露戦争の頃までに設置が始まったと言うが、詳しいことはよく分かっていない。また、その頃はまだ神社から貰った神札を神棚に置いた程度の小さな物であった。今も残る戦艦三笠には筥崎宮の神札が祀られている。

■艦内神社の決定と奉祀
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艦内神社は基本的に実在の神社から分霊されたれっきとした「神社」である。進水式で艦の命名が行われるのでそれ以降にどこの神社を祀るかを決め、基本的には竣工と同時に艦へと奉祀される。(前後したり数年間が開いたりなど例外もある)神社は先ず「艦名に因む神社」を氏神として探して、それが見つからなければ「海神や戦神関係の神社、もしくは伊勢皇大神宮(内宮)」を祀っている。
艦名にちなむ神社と言ってもこれが曲者なところがあり、艦名とイコールでなければ駄目と考えた艦もあれば、由来の川や山にまつわる神社なら艦名と違っても問題ないと考えた艦もある。
たとえば「重巡摩耶」「軽巡神通」は、それぞれ兵庫県の摩耶山・富山県の神通川に関係する神社を見つけられなかったので伊勢皇大神宮を祀っている。(※14/10/15追記:その後の調査により神通には射水神社が奉祀されていることが分かっている)一方で「重巡妙高」は妙高山登山口の新潟県関山神社、「軽巡長良」は長良川沿いの岐阜県伊奈波神社、「重巡高雄」に至ってはもともと京都府高雄山にあったつながりで烏丸通沿いの護王神社を奉祀している。
中には無理やり探してきた「駆逐艦有明」と言う例もあり、この艦は有明海に因む神社を見つけられなかったので長野県安曇野の有明山神社を奉祀している。これは駆逐艦唯一の氏神奉祀事例だが、もしかしたら他にもこのような例があるのではないかとビクビクしている。
また、地元のほうから奉祀神社の推薦があったり、神霊を奉祀した神棚の寄贈を受ける例もある。「戦艦榛名」は榛名神社神職惣代社司・同氏子総代が神霊を寄贈、「軽巡木曾」は木曾地域の7千名の小学生から醵金して、木曾御嶽の絵と共に御嶽神社の分霊を行った地元産の木造祠を贈っている。
また、「水上機母艦千歳」は瑞祥艦名として命名されたが、進水式後に久留米市長から「筑後川の古名が千歳川なので地元の水天宮と高良大社を祀って欲しい」と要請があり、数度のやり取りの後奉祀されることとなった。

■艦と神社と地元の関係
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進水式などで艦の命名がされるとその艦名の由来となった地元で報道されることがあった。「軽巡球磨」が佐世保で進水した翌日に熊本の新聞にその報が載ったり、「重巡鈴谷」が横須賀で進水した数日後に樺太日日新聞にその報が載ったり等である。また、竣工前後には守護神を地元の神社から移す分霊式などが報道されることもあった。
艦が竣工して最初にその由来地に寄港する際も、地元住民が大歓迎したという記録がある。たとえば「空母加賀」の金沢金石港寄港時には金石電鉄(現北陸鉄道)の乗客が1.2万人、「軽巡神通」の富山岩瀬港寄港時には富岩電車(現富山ライトレール)の乗客が2.8万人など、多くの見学客があったことが解る。そして艦の乗組員には地元から銭湯券などが配られ、数百人が街に繰り出し大変に賑わい潤ったという。また、神通の場合は艦長のインタビューが新聞に載っている。
そんな感じで、艦の命名由来となる地元の関心はそこそこ高かったようで、命名が決まった地元では艦に神殿・神霊を含めたいろいろな寄贈をしたり、竣工式に地元代表が出席することもあった。また竣工後も艦から神社へ写真や模型を贈ったり、定期的に参拝をしたり等交流が続いていることが多い。
「重巡羽黒」は竣工直後(S4/4末)に山形県羽黒神社(出羽三山)を奉祀しているが、その半月後に艦から羽黒神社へ大写真を寄贈、さらに半月後に県にも寄贈している。その3年後(S7)には酒田港に停泊し乗組員700名が登山参拝、同時に艦の1/200模型を奉納している。「軽巡北上」「軽巡名取」は竣工前に宮城県知事より知事が崇敬するという鹽竃神社(北上へ)と青葉神社(名取へ)の油絵を贈っている。「重巡熊野」「軽巡川内」には艦載機で空中から参拝した話も残っている。

■忘れられた艦内神社
kannaijinja05艦艇には欠かせず地元との繋がりもあった艦内神社だが、敗戦とGHQによる神道指令により急速に闇へと葬られることとなる。特に艦内神社の分霊元は軍との繋がりを指摘された際に逃げることが出来ず、追及されぬように関連書類や軍からの寄贈品などをすべて破棄してしまったところも多いようである。軍の側も資料破棄や接収などで関連資料は行方不明になり、公文書にしても断片的にしか残っていない。神社も口伝でしか伝わっていないところもあるうえ、そもそも奉祀について古い物はもう100年が経とうとしており、今から全貌を明らかにするのは非常に困難となりつつある。
今この方面の研究者が行っているのは、綺麗に埋め立てられた広大な土地から穴を掘り返しているような状況である。いやそもそもこんな研究進んでない分野とは思わなかった。この穴に落ちた物は全国各地の図書館でマイクロフィルムをぶん回し、当時の絵葉書を買い漁る作業に従事している。艦これの生んだ悲劇である。
現代の自衛艦にも艦内神社は存在しているが、神棚程度の小さな物となっている。政教分離云々により稀にやり玉に挙げられたりする。国費云々の話もあったが、おそらく海軍時代から国費は使わずに乗組員の実費と寄付でまかなわれていたのでは無いかと思われる(先述の通りそもそも規則が存在していなかったため)

■艦内神社リスト(2014/6/1現在 当調査会調べ)
そんなわけで、艦内神社について調べてきたリストについては次の通りとなる。

艦内神社まとめ 2014/6/1版
※最新版のリストは「艦内神社ノ世界」を参照願います。

おそらく久野氏のリストとは一部異なるかと思うが、こちらの調査で出てきた資料からここは怪しいのではないかという場所を外しているためである。久野氏はその道の専門家なので社務日誌のような詳細な情報に立ち入れるのだが、こちらはさすがに趣味でやっているのでそこまで出来ず、主に当時の地方新聞(マイクロフィルム)などから情報を得ている。ただ、その方向性の違いにより久野氏とは違った方向で資料集めが出来、多方面から検証が出来ているので良かった気はする。
このリストは現時点の物であり、これまでも変わってきたように今後の調査研究によってどんどん変わっていく可能性が高い。そのことには留意して欲しい。

(6/10追記)
艦内神社まとめ 2014/6/5版
久野氏の帝国海軍と艦内神社の内容をマージしたもの。香取を確定にした以外はあまり変わらず。加古の判断が難しい・・・
※最新版のリストは「艦内神社ノ世界」を参照願います。

■FAQ よくある質問
Q.駆逐艦には艦内神社はないの?
駆逐艦にもあります。ただそのほとんどは艦名に因む神社が見つけられなかったために、主に海神関係の神社等を祀っていたようです。最終的には次の項目の通り伊勢皇大神宮も祀られています。

Q.すべての艦に伊勢神宮が奉祀されていると聞きました
その通りなのですが、正確には昭和15年12月以降のこととなります。それまでは氏神神社もしくは伊勢か海神関係の神社等を祀っていました。海軍諸令則で艦内神社に関する件が決定され、それにはまず主祭神として天照大神(伊勢皇大神宮)を祀るようにとなっています。昭和16年4月には「伊勢神宮大麻授興の件」が追加で出され祀っていなかった艦にも順次祀られたようで、伊勢神宮には延べ697艦に奉祀したという記録が残っています。

Q.海神関係の神社とは?
主に住吉神社(大阪府等)・金比羅神社(香川県)・大山祇神社(愛媛県)・宗像大社(福岡県)などが挙げられます。また、戦神の香取神宮(千葉県)・鹿島神宮(茨城県)・筥崎宮(福岡県)などを祀ることもあったそうです。

Q.氏神がない艦は最後までなかったの?
そのあたりは頭を悩ませているところです。先ほどの摩耶・神通は共に氏神神社は奉祀していないと地元新聞で明言されていますが、もちろんその後に地元からの要請などで奉祀した可能性も十分考えられます。たとえば「軽巡那珂」の氏神は大洗磯前神社といわれていますが、昭和9年の軍艦那珂案内では天照大神(伊勢皇大神宮)しか祀っていないと書かれています。何時大洗磯前神社を奉祀したのかは今のところ分かりません。

Q.雪風神社があったと聞きますが
艦艇の神社は「[艦名]神社」と呼ばれており、要するに妙高には妙高神社(関山神社・皇大神宮奉祀)、陸奥には陸奥神社(岩木山神社・皇大神宮・明治神宮奉祀)、雪風には雪風神社(皇大神宮奉祀)といった風になっていました。乗組員も細かいことは気にしていなかったようで、戦後に妙高の乗組員が「妙高神社」にお礼に行こうと妙高高原あたりまで行って、宿の人に「そんな名前の神社は地元には無い」と言われたエピソードがあるそうです。

Q.生き残った艦の艦内神社は戦後どうなったの?
すぐ燃やされたものもあれば、神霊を退避して現在まで関係者の家で生き残っているものもあります。元の神社に返されたという話は戦艦榛名(昭和30年奉還)程度であまり残っていません。そのほとんどは海の底に眠っています。

■そんなわけで
なんとか発売前に記事が間に合いました。本を読んだ後にリストのマージや、追加補足などを書きたいと思います。
 
 
 
※この記事は古い記事となります、最新版の研究は新設サイト「艦内神社ノ世界」で行っていますのでそちらをご覧ください。

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